医療にも研究にも教育にも市場経済の波が好むと好まずに関わらず大きなうねりとなって押し寄せています。このような環境下にあって、本学医学部は自ら自立と生き残りのために,医師養成学校ではなく、生命医科学研究に重点を置いた大学院大学の道を選んだのです。これには先輩諸兄の地道な努力と活躍があったからこそ文部科学省の認可が得られたのだと思います。しかし,大学院大学と自らが宣言したからにはより実質的な研究成果が求められます。国際競争に勝てる研究です。競争力をつけるには厳正な外部評価と教官・研究者の任期制導入が不可欠となるでしょう。既得権に擁護された惰性と欺瞞では成果が出ないからです。
生命科学には国境や学問領域の垣根はありませんので,世界中から情報交換や人事交流が行われることとなります。研究内容も臨床応用可能なより具体的な研究が評価されるでしょう。給料も成果に応じて異なるでしょう。現在のプロ野球やサッカーのJリーグと同じ様相を呈することになるでしょう。各自が能力に応じて自由に世界の舞台で活躍できる世界です。
附属病院も稼働率や治療件数を誇るのではなく,EBMに基づいた質の高い先進医療開発の基幹病院となるべく脱皮する必要があるでしょう。診療科の科長は必ずしも大学院教授となる必要はないでしょう。関連病院にも臨床的特徴を生かした役割分担をお願いすることになります。既に一部の病院には治療における連携のみならず医学生教育や卒後研修の分担をお願いしております。そして,これら病院が教育・研究・診療の連合的病院群を形成することになります。ネットワーク機能にはITが活躍することになります。
医学教育にも大学の独自性が求められます。独立行政法人化が追い風となって進むためには風をいっぱいに受ける帆を張る必要があります。質の良い学生を獲得し、有能な卒業生を生み出し,世界に誇れる大学になるためにはどうしたら良いのでしょうか?技術的には講義中心からバーチャルリアリテイ技術を駆使した多面的教育が必要です。教育専任の教育教授も必要となるでしょう。新しい技術を入れても見失ってはならないものは教育理念です。金沢大学医学部では教育の基本理念はどこに求めるべきなのでしょうか?私はリサーチマインド(研究心)を持った人間性豊かな医師の養成にあると思います。
人の様々な思いとは無関係に時は流れます。21世紀初頭、個人個人がそれぞれ満足できたと感じられる日々を送ってほしいと思います。 |
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金沢大学医学部 附属産婦人科学教室 主任教授 井上 正樹 |
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1973年、金沢大学医学部卒業後大阪大学医学部産婦人科教室に入局し臨床研修。
1979年、大阪大学医学部助手。産婦人科病理学・腫瘍学に関する研究に取り組む。
1984年より特に子宮ガンのHPVによる発ガン機構の解明に従事する。
1979年、1982年の二度にわたり、カリフォルニア大学アーバイン校オレンジ郡総
合病院で臨床研修を行う。
1984年から1986年までハーバード大学病理部に留学し、婦人科腫瘍形態診断学の
研鑚を積む。帰国後は、病棟医長として卵巣ガンの治療に努力するかたわら、ガ
ン関連抗原の解析やガン細胞の遺伝子変異の研究に取り組む。
1987年、大阪大学産婦人科病院講師。
1993年4月、大阪大学産婦人科医学部講師。
1994年11月現職。
アメリカ癌学会会員、国際婦人科病理医正会員、日本臨床細胞。 |
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